最高裁判所第一小法廷 昭和41年(オ)1449号 判決 1967年11月30日
上告人
笹岡キミヱ
右訴訟代理人
小笠原六郎
被上告人
旭央商事株式会社
右代表取締役
筒井正則
右訴訟代理人
板井一治
板井一瓏
主文
原判決を破棄する。
本件を札幌高等裁判所に差し戻す。
理由
上告代理人小笠原六郎の上告理由について。
原判決は、上告人所有の本件土地について根抵当権設定契約を登記原因とする被上告人に対する根抵当権設定登記ならびに停止条件付代物弁済契約を登記原因とする被上告人に対する所有権移転仮登記がされているところ、右契約は、上告人が訴外高野某から本件土地を買受け、その地上に建物を建設するための資金借受について訴外宮川駒夫に与えた代理権消滅後において、右宮川によつてその範囲をこえて上告人の代理人として被上告人との間に借受金債務を担保するため締結したものであるが、右契約締結に際し被上告人代表者は宮川が本件土地の権利証と上告人の実印を所持しているほか本件土地の前記高野某より、上告人に対する所有権移転登記が遅れて困つていた宮川に司法書士を紹介して登記手続を促進してやつた関係もあることならびにその他の事情から、宮川が右契約締結の代理権を有するものと信じた事実を認定し、一般に本人が他人に自己の実印を交付しこれを使用してある私法上の行為をすべき権限を与えた場合に、その他人が代理人として権限外の行為をしたとき取引の相手方である第三者は実印を託された代理人にその取引をする代理権があつたものと信ずるのは当然であり、特別の事情のないかぎり、かく信ずるについて過失があつたものとすることはできないとして、本件の事実関係のもとにおいては被上告人が宮川に代理権があると信じたことは当然で、このような場合本人たる上告人に問い合わせて宮川の代理権の有無をたしかめるべき注意義務はなく、被上告人が宮川に上告人を代理する権限があるものと信じたことについて正当の理由がある旨判断している。
しかし、代理人と称する者が本人の実印ならびに取引の目的とする不動産の権利証を所持しているときでも、なおその者に当該本人を代理して法律行為をする権限の有無について疑念を生ぜさせるに足りる事情が存する場合には、相手方としては代理人と称する者の代理権限の有無についてさらに確認手段をとるべきものであるから、その調査を怠りその者に代理権があると信じても、このように信じたことに過失がないとはいえない。原審の確定するところによれば、被上告人代表者は宮川が従来上告人のため土地買入に奔走しており本件契約締結直前に上告人のため本件土地の所有権取得登記申請手続をしたことを知つており、また宮川が上告人の取得した右土地を担保として被上告人に対し借入金の申込をした際、被上告人代表者はその借入金の用途が宮川個人の営業上の資金に充てることを告げられており、さらに宮川は被上告人代表者に対して明示した期限までに必ず借入金を返済するから本件土地についての根抵当権設定登記および所有権移転の仮登記申請手続をしないでくれと頼んだというのであるから、このような事情のもとにおいては宮川が本件土地の権利証ならびに上告人の実印を所持しているなど原判示の如き事情にあつたとしても、通常人であれば宮川の前記契約締結の権限について一応の疑念をもたざるをえないような事情にあつたものというべきである。従つて、このような場合には直接本人に問い合わせるなどして右権限の有無について調査すべきであり、これを怠り宮川に本件契約を締結する権限があると信じても、このように信じたことには過失があり正当の理由があるものとはいえない。
しかるに原審は、被上告人が宮川の権限の有無をさらに調査することができないような事情が存するか否かについて審理判断することなく、被上告人が宮川の代理権限の有無を調査確認するまでもなく同人に代理権があると信じたことは当然である旨判示しているのであつて、このことは民法一一〇条の解釈適用を誤りひいては審理不尽の違法を犯したものというべきである。従つてこの点に関する論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(岩田誠 入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 大隅健一郎)